ご用達

黒船が浦賀に来てから日本の洋服文化が始まった訳ですが その頃のお話し

横浜の南蛮屋敷で洋服職人の見習を募集していると聞いた 17歳の少年は早速 横浜へ行くことになりました 採用の条件は 男子で針の持てる者 これが条件でした
当時 男で針の持てる者は 和服の仕立て屋 足袋屋 袈裟着屋くらいのところで そんなに多くはありません ただ西洋服には異常に好奇心があったようです

めでたく採用になり 何人かの日本人仲間とこの屋敷に寝泊りをして 洋服作りを 勉強することになりました ただ 教えるのが異邦人なので 言葉が分かりません お互い違う言語で 技術を伝授するのですから たいへんな苦労があったと思います

上手い例えが見つかりませんが ギリシャ語を知らない人が その言葉でパソコン講座を 受けているような感じです でも先ほども言いましたが 洋服への情熱が彼らを洋服職人へと 導いてくれるのです

明治維新を迎えて この青年は職人達をつれて 省内匠寮での仕事を言い渡され 陸軍大将の大礼服 を最初に手がけるのです このまま行けば 日本一の洋服屋が誕生するはずでした

ひょんなきっかけで 粋な交際が始まり 夜になると政府の省から無断で出かけてしまいます
とうとう 見つかってしまい 注意を受けるのですが よせばいいのに そんな事なら辞めちゃえこの 一言で仕舞いになりました 政府省内にいる時 職人達の行動や言動も含めて 洋服屋は行儀作法が良くない という訳かどうか知りませんが
ご用達の金看板を立てる人はありません このときの経緯が良くなかったんでしょうか

ほんとかどうか 100年以上の昔話です
おわり

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